仲代表の「グローバルの窓」

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第49回 “Please give us money for her hospitalization fee.” (入院費用として援助してください)

2023.09.01

メイドが交通事故に!

 私のフィリピンの家は、ダスマリニャスヴィレッジという警備付きの住居区にありました。コンドミニアムに住む出向者もいましたが、私は前任者から家を引き継いだので、ヴィレッジにある一軒家でした。メイドも引継ぎましたが、メイドは朝晩、日本料理を作ってくれました。平日は我が家で寝泊まりし、週末に実家に帰るという契約でした。

 ある朝のこと、メイドの姉と称する人から「週末に妹が交通事故に遭ったので、しばらく入院になります。入院代を少しだけでも援助してくれるとありがたいです」という電話が入りました。いきなりの連絡で驚きましたが、事態が事態なのですぐに「わかりました。病院はどちらですか」と聞き返しました。

 会社に連絡して、病院に直行し、姉に会いました。メイドは足の骨を折ったようですが、命に別状はないとのことで少し安心しました。病室を出たところで姉にお見舞金を渡しました。いつ退院できるかはまだわかりませんでしたが、二、三週間はかかりそうでした。

 再三、「入院費用を援助して」と電話

 また五日ほどして、朝の七時ごろにメイドの姉から電話がありました。「入院代が足りないので、また援助してもらえますか」というのです。たいへんなのはわかるのですが、こちらは気持ちとしてそれなりのお金を包んでお見舞金として渡したのに、こんな調子で資金援助を繰り返されるのに違和感がありました。こういうものは気持ちでお渡しするものなのではないかと思うのです。姉の電話での口調は、それどころか当然援助してくれて当たり前だ、と言わんばかりの態度だったのも何かちがうんじゃないかと思いました。しかし、困っているのをほっておくわけにもいかず、また追加の見舞金を渡しました。

 三日ほどして、またまた朝の七時ごろに三度目の電話がありました。入院が延びたので、援助してくれというのです。これはエンドレスだなと思った私は、即答はせず、会社に行って、人事マネジャーに相談しました。「そもそもこういう見舞金はこちらの気持ちから出すものなのに、当然援助してくれて当たり前という態度はどうなのかな?」と聞きました。人事マネジャーは、「これはちょっとおかしい。あなたは十分過ぎるくらい援助したし、これ以上支払う必要はありません」と言いました。ただ、そのときに「フィリピン人は、困ったときにはお金を持っている人が援助すべきだと考えます。また、お金を持っている人は貧しい人にお金を援助するのは当たり前だと考える人が多いです」とも。けっきょく、人事マネジャーと相談して、最後の援助金としての合意書を作り、それにサインしてもらって打ち切りました。

 もはやビジネス交渉?! 

 メイドのことは何とかしたかったので、喜んで見舞金を渡したのですが、そのあと何度もそれが当然のように要求してくる姉の態度に違和感が募りました。最初の自発的な気持ちが最後にはビジネス交渉を処理した感覚に変わり、不快さだけが残る出来事でした。

 「お金を持っている人がお金を出す」という感覚がフィリピンには強いことを学びましたが、それが当然という態度はどうなのかなと思います。お見舞いというのは気持ちから行うものなのではと思うのですが。また、何事もお互い(援助する側もされる側も)をrespectすることが大事だとも思います。しかし、私の感覚はお金を持っている側の言い分なのかもしれません。いずれにせよ、文化の違いを痛感させられ、考えさせられる出来事でした。


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