仲代表の「グローバルの窓」

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第52回 “Paris is Paris after all.” (やっぱりパリはパリでした)

2023.10.02

意見は真二つ

 「2.5G(GPRS)の通信技術を得るかわりに当方の3G技術を渡す」 この条件を基に、アライアンス先をシーメンス(独)にするかアルカテル(仏)にするかで調査、検討を行いました。アライアンスの形態としては、当方も相手も合弁会社を想定しました。商品としては、シーメンスがハイエンド寄りで、アルカテルはNECが苦手とするローエンド市場に強みがありました。携帯電話事業に対する想いは、アルカテルの方が強く、シーメンスは、いずれは携帯電話事業を売りに出すのではないかとも感じました。ただ、会社としてはシーメンスの方が堅実で信頼性の高い印象でした。とはいえそれは感覚的なもので、今思えば、ドイツとフランスの気質の違いだったのかもしれません。

 私は、2.5Gの技術力と携帯電話事業への熱意、それから商品レンジがNECと補完できるとの観点からアルカテルの方がいいと判断しました。事業本部長は、最終的に事業部長、開発部、計画部、商品企画部、営業部、生産管理部等のメンバーを15人ほど集め、一人一人にどちらにするか最終回答を問いました。私はアルカテルと答えました。事業本部内での答えは真二つに割れ、最後は事業本部長の判断に委ねられました。皆が息を詰める中、事業本部長の出した答えは、「アルカテル」でした。

 立つ鳥跡を濁さず

 アルカテルに決まったあと、2.5Gと3Gの技術的な詰めを行う必要がありました。3Gはこちらが技術提供する領域なので、NECから情報を提供することになります。ただ、市場はまだ熟しておらず、まずは中期的に開発をどうするかというレベルでした。一方の2.5Gは、3Gと違って、商品を出せば近いうちにビジネスになり得るので、ビジネスを前提にした商品開発の議論となりました

 3Gは技術部長、担当マネジャー、私の3人でパリに出張し、アルカテルと3回ほど打ち合わせをし、だいたいの議論を終えました。一方、2.5Gは事業部長代を筆頭に開発部、企画部、生産管理部、そして、営業(私)でチームを構成し、パリのアルカテルオフィスに一週間缶詰めになって侃々諤々の議論をしました。議論もソフトウエアとハードウエアに分けて行いました。彼我ともに英語があまり得意でなかったため、お互い理解をするのに時間がかかりました。私はハードチーム、ソフトチームそれぞれのミーティングを掛け持ちで対応しましたが、技術的な理解と英語への翻訳に苦労しました。

 議論は、月曜日から金曜日まで缶詰めになって行いました。その甲斐あってか、翌年の夏前にローンチすることでなんとか合意に至りました。みなさん、完全にグロッキーでした。私は会議室を見て回り、飲物など片づけて回りましたが、リーダーの事業部長代理もやって来て、「人様のオフィスを借りたんだから、終わったあとはきちんと後片付けするのが礼儀だ。こういうことが大事なんだ。使ったら使いっぱなしはないだろ」と言い、一緒に片付けをして回りました。片付けは私がやればいいと思っていたので、事業部長代理の行動に驚きました。この方はのちに副社長にまで昇進されましたが、仕事に対する姿勢が立派だったなと思います。

 やっぱりパリはパリでした

 帰国便は土曜日の夜行便でしたので、土曜日は一日時間がありました。事業部長代理と開発部長の年配の二人から「最後の日くらい、はとバスにでも乗ってパリ観光でもしたいな」と言うので、はとバスをアレンジして一緒に回りました。これはこれで楽しく、また、キーパーソンの二人と親睦を深めることができ、有意義な時間となりました。開発部長が途中で絵葉書を買い、「奥さんにパリから送る」ということでその場でメッセージを書き、投函されました。「なんて書いたの?」と事業部長代理が聞くと、「“やっぱりパリはパリでした”と書きました」とのこと。三人で大笑いしました。「松島やああ松島や松島や」の心境でいらしたのでしょう。 

 この出張は心身共に疲れましたが、充実感がありました。私自身も手ごわいフランス人や英語翻訳に苦戦し、「やっぱりパリはパリでした」の心境でした。これからパリに頻繁に来ることになるんだと思うと、機上から見るパリの灯が妙に親しく感じられました。


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